そして、特殊相対論でエネルギーと運動量の考察から質量(m)とエネルギー(E)の関係を表わす式を導出した。
$E = mc^2$ c:光速
- 核エネルギーについて説明します。
- 核エネルギーはアインシュタインが見出した質量とエネルギーの関係から説明されます。
- ウランやプルトニウムが核分裂して核分裂生成物となった時、その質量は僅かに減少します。原子力(核エネルギー)は、この質量差に光速の2乗を掛けた値が対応します。
- $E = mc^2$という式はアインシュタインがニュートン力学と電磁気学を統合した特殊相対性理論において導出しました。
チャドウィック
- チャドウィックは、ターゲットとしてパラフィン だけでなく、ヘリウム や 窒素も試した。それらの結果を比較検討し、その透過性の高い放射線がガンマ線であると考えると説明できない矛盾が生じ、この謎の放射線は質量が陽子とほぼ同じで、中性の粒子である ことを確かめ、中性子 (neutron) と名づけた。(1932年)
- 最初に中性子を捕まえていたのはキュリー夫妻であったが、残念ながら、 彼らはそれに気が付かなかった。
- 中性子の発見について説明します。
- ラザフォードは陽子と同じくらいの質量を持つ中性の粒子があるのではないかと考えていました。ラザフォードはこれを、水素原子の中の電子が核の中に落ち込んで電荷を中和したものとして考えました。
- マリー・キュリーの娘であるイレーヌ・キュリーと、夫のフレデリック・ジョリオ夫妻は高強度ポロニウム試料を使って透過性の放射線を研究しました。1932年二人はこの放射線はパラフィンから陽子をはじき出すことを発見しました。彼らは自分たちの観測結果をコンプトン効果として解決しようとしました。しかし、この解釈ではいろいろと不都合がありました。二人にはどうしてもこの放射線が中性子であると言うことには気付かなかったのです。
- この話を知ったキャヴェンディッシュにいたチャドウィックは、ポロニウムからのアルファ線をベリリウムに照射した際に発生する放射線を用いてこの実験を繰り返しました。出てくる放射線を水素だけではなくヘリウムや窒素にも当てました。そしてこの際の放射線が当たった粒子のはじき飛ばされ方を比較することによって、その放射線には陽子とほとんど等しい質量を持つ中性の粒子が含まれていることを証明しました。
化学者 ハーン 物理学者 マイトナー
- 中性子が発見されてから、多くの科学者は中性子を色々な元素に照射する実験を試みた。
- オット・ハーンとシュトラスマンはウランに中性子を当てるとバリウムが生成されることを発見した。 (1938年12月)
- ハーンは弟子のリーゼ・マイトナーに連絡した。
- マイトナーと甥のフリッシュは、この現象をウラン原子核がほぼ半分に割れたためであると結論し、生物学から細胞分裂という用語を借りてきて「核分裂」 (Fission)と命名した。
- 核分裂の発見について説明します。
- フェルミは人工放射能に関する研究に中性子を使うことを考えました。はじめフェルミは手に入る元素を全部、原子番号の順に照射しました。水素、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素などではうまくいかなかったのですが、ついにフッ素に至って放射能が現れたのでした。その後の3年間の研究でおよそ40種類の新放射性物質を発見しました。
- 1934年の春、この頃知られている中ではいちばん重い元素であったウランを照射しました。そうするといくつもの放射性物質が見つかりました。そこでフェルミは、超ウラン元素がつくられたものと考えました。この考えは一部は正しいのですが、実は全く別の核反応が起きていたのでした。
- ウランに中性子を照射する実験は、イレーヌとジョリオがパリで、またベルリンではハーンとマイトナーが追試していました。
- 結局、核分裂を発見したのはハーンとマイトナーでした。
- ウランやプルトニウムが核分裂する際に放出するエネルギー
- 原子力の利用方法には、
・電気に変換して利用 → 原子力発電
・直接動力源として利用 → 原子力潜水艦
・熱源として利用 → 水素製造、暖房
・兵器として利用 → 核爆弾 - 副産物として核分裂生成物、超ウラン元素を生成
- 核エネルギーについて説明します。
- 原子力は、ウランやプルトニウムが核分裂する際に放出するエネルギー利用します。
- 原子力発電では、電気に変換して利用します。 原子力潜水艦では、直接動力源として利用します。
また、水素製造、暖房のように熱源として利用方法も有ります。核爆弾のように兵器としても利用されます。 - 原子力エネルギーの利用において最も厄介なことは、放射線を放出する物質つまり放射能を伴うことです。
- 将来革新的な研究が実施され放射能の呪縛から原子力を解放することが可能となれば人類の未来は変わるかも知れません。
約 $1MWd/gU$
化学反応により発生する反応エネルギー(反応熱)
$H_2(g)+\frac{1}{2}O_2(g)=H_2O(l)+286kj$
原子力の持つエネルギーの巨大さ(化石エネルギーの百万倍)が実感できる!
1gのウランの核反応エネルギー $8.11×10^7kJ/g$
2gの水素の化学反応エネルギー $1.43×10^2kJ/g$
- 核エネルギーの大きさについて考えてみましょう。
- 1グラムのウランが全て核分裂した場合に発生する核エネルギーは、1 MWd/g-U(1メガワットデイ パー グラム ウラン)と表されます。
- 1 MWd/g-Uは、1核分裂当り200MeVの発熱があり、1g中に含まれるウラン原子の数から算出できます。
- このエネルギーをkJ/gの単位に変換すると原子力エネルギーの巨大さが実感出来ます。
- 有名な手塚治の漫画に鉄腕アトムが登場しますが、アトムの力は百万馬力と言われています。百万という表現は恐らく核反応と化学反応により得られるエネルギーの差の大きさを強調したかったためではないかと推測されます。
- 核分裂が発見された当時、ヒトラー政権のドイツはイギリス、フランスと対立しており、1939年3月イギリス、フランスの両国はドイツへ宣戦を布告し、第二次世界大戦が勃発した。
- オット・ハーンは1938年12月に核分裂を発見したが、核分裂の発見を発表することを躊躇し、ボーアに結果を伝えた。
- ボーアはアインシュタインと論議した。その結果、アインシュタインはナチスに先立ちアメリカで原爆製造に成功するようアメリカ大統領ルーズベルトに進言した。
- これにより原子爆弾製造研究(マンハッタン計画)が始まった。
- 核分裂が発見された当時世界はどのような状況だったかを見てみましょう。
- ヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムはドイツやイタリアから優秀な科学者を米国に移住させました。
- そんな中にはアインシュタインやフェルミが含まれていました。
- マンハッタン計画とは、核兵器すなわち原子爆弾を製造するための計画です。
- アメリカで政府が本腰を入れて原子爆弾の製造に関わるようになったのは1940年から1941年にかけてでした。1942年には陸軍が資材調達と技術的な面で積極的に協力することになり、この目的に沿って1942年9月、マンハッタン管区と呼ばれる組織が編成されました。
- この計画で開発された技術は、ウラン濃縮、プルトニウム生産用原子炉、プルトニウムを取り出すための再処理、原子爆弾の設計でした。
Old Grove Rd.
Nassau Point
Peconic, Long Island
August 2nd 1939
President of the United States
White House
Washington, D.C.
Sir:
Some recent work by E. Fermi and L. Szilard, which has been communicated to me in manuscript, leads me to expect that the element uranium may be turned into a new and important source of energy in the immediate future. Certain aspects of the situation which has arisen seem to call for watchfulness and, if necessary, quick action on the part of the Administration. I believe therefore that it is my duty to bring to your attention the following facts and recommendations:
In the course of the last four months it has been made probable - through the work of Joliot in France as well as Fermi and Szilard in America - that it may become possible to set up a nuclear chain reaction in a large mass of uranium, by which vast amounts of power and large quantities of new radium-like elements would be generated. Now it appears almost certain that this could be achieved in the immediate future.
This new phenomenon would also lead to the construction of bombs, and it is conceivable - though much less certain - that extremely powerful bombs of a new type may thus be constructed. A single bomb of this type, carried by boat and exploded in a port, might very well destroy the whole port together with some of the surrounding territory. However, such bombs might very well prove to be too heavy for transportation by air.
-2-
The United States has only very poor ores of uranium in moderate quantities. There is some good ore in Canada and the former Czechoslovakia. while the most important source of uranium is Belgian Congo.
In view of the situation you may think it desirable to have more permanent contact maintained between the Administration and the group of physicists working on chain reactions in America. One possible way of achieving this might be for you to entrust with this task a person who has your confidence and who could perhaps serve in an inofficial capacity. His task might comprise the following:
a) to approach Government Departments, keep them informed of the further development, and put forward recommendations for Government action, giving particular attention to the problem of securing a supply of uranium ore for the United States;
b) to speed up the experimental work,which is at present being carried on within the limits of the budgets of University laboratories, by providing funds, if such funds be required, through his contacts with y private persons who are willing to make contributions for this cause, and perhaps also by obtaining the co-operation of industrial laboratories which have the necessary equipment.
I understand that Germany has actually stopped the sale of uranium from the Czechoslovakian mines which she has taken over. That she should have taken such early action might perhaps be understood on the ground that the son of the German Under-Secretary of State, von Weizsaeker, is attached to the Kaiser-Wilhelm-Institut in Berlin where some of the American work on uranium is now being repeated.
(Albert Einstein)
- 核分裂反応が発見された。膨大なエネルギーが出る。
- 兵器として利用される恐れがある。
- 原料のウランはベルギー領コンゴに存在する。
- 核兵器開発のための専門のプロジェクトを極秘に組織化すべきである。
- アインシュタインがアメリカ大統領に送った書簡です。
- 未曽有の威力を持つ核爆発物ができるかも知れないということは疑いようもないことでした。もし、それを狙う者の一人がヒトラーだとしたら大変なことであるとフェルミをはじめハンガリー人のシラード、ウィグナー、テラー、オーストリア人のウィスコップが心配していました。
- こうして大勢のアメリカ科学者が自発的な動員体勢に入るという特異現象が起きました。実験が開始され、自発的に機密保持体制が敷かれました。
- 1939年8月には、シラード等はアメリカの仕事の進み具合が遅いことを心配してルーズベルト大統領に直接働きかけることを計画しました。そして大統領に宛てて現在の状況とその意味するところを説いた手紙を書き、アインシュタインにその差出人になってほしいと頼んだのでした。
- 写真はアインシュタインとシラードが話し合っているところを撮ったものです。
- 【1938年】
- ウランに中性子をぶつける実験
核分裂の発見(オット・ハーン) - 【1940年】
- $^{238}U(d,2n)$ → $^{238}Np(β崩壊)$→$^{238}Pu$
プルトニウムの発見(グレン・シーボーグ) - 【1942~1945年】
- 核兵器の開発(マンハッタン計画)
ウラン濃縮技術、再処理技術の確立
原爆の製造、核実験の実施 - 【1942年】
- シカゴ大学構内で連鎖反応実験
世界初の原子炉の誕生(エンリコ・フェルミ)
目的は原子爆弾材料の$^{239}Pu$を生産すること - 【1945年】
-
原爆投下(広島、長崎)
第2次世界大戦の終結 - 【1953年】
- 国連総会
アイゼンハワー大統領の演説「ATOMS FOR PEACE」
- マンハッタン計画からアトムズ フォ ピースの演説までを説明します。
- マンハッタン計画は1942年から1946年まで4年間続き、そのコストは約18億ドルと言われています。今日の価格に換算すると200億ドル以上に相当します。
- 計画は人類の歴史の中で最悪の戦争をしている間に、地球的規模で行われました。
- シカゴ大学構内で作製された歴史上初めて臨界に達した最初の原子炉の名前はシカゴ・パイル1号、略称CP-1と呼ばれています。
- エンリコ・フェルミがシカゴ・パイル1を指揮しました。
- 写真は核爆発実験を見学している兵士の様子を捉えています。彼らは被曝データ取得のモニターとなりました。
- アイゼンハワー米国大統領は第8回国連総会において「Atoms for Peace」の演説をしました。これをきっかけに原子力の平和利用へと進んだのです。
シカゴ・パイルを指揮した科学者
エンリコ・フェルミ
- シカゴ・パイル1号(Chicago Pile 1, CP-1)とは、歴史上初めて臨界に達した最初の原子炉の名称である。
- CP-1は原子爆弾材料のプルトニウム239生産用原子炉を設計するための実験炉として開発された。
- 世界最初の原子炉シカゴパイルについて説明します。
- 核分裂の発見から4年経つと最初の臨界原子炉ができました。この原子炉は1942年12月2日にシカゴ大学のフットボール競技場の観客席の下で運転を開始しました。
- フェルミは主にプルトニウム生産に必要な連鎖反応を受け持ちました。彼がローマ時代に得た遅い中性子についての専門知識がここでたいへん役に立ちました。
- またイタリアで行われた理論的な研究は、核分裂を起こす物質から生ずる中性子を考慮に入れたもので、初の原子炉を作るための理論面での土台となりました。
Gadget
Little boyのレプリカ
Fat manのモックアップ
トリニティ実験場
1945年7月16日
広島への原爆投下
1945年8月6日
長崎への原爆投下
1945年8月9日
- 原子爆弾について説明します。
- 写真の左から順に原爆の実験に使われたガジェットの写真です。次に広島に投下されたリトルボーイ Little boy、長崎に投下されたファットマンFat manです。
- これらの他にもまだ幾つかの原爆は作られていたようです。
- アメリカが何故このように原子爆弾の開発に成功したのか。その理由はいろいろと考えられると思いますが、二つだけあげてみます。
- 第一は技術的な問題に関して機が熟していたということです。これに先立つ数年の間の種々の発見が、技術的に好都合な状況を造り出していました。
- 第二に、ヒトラーの恐るべき目論見は明らかに目に見えていたので、ヒトラーの破壊の手に立ち向かって戦うために自分の仕事を進んでなげうつ覚悟ができていたことです。このためいろいろな研究所に、必要とあればいつでも能力のピークにある若い有能な人々を集めることができました。
- ロス・アラモスでは、ボーア、チャドウィック、フェルミ、ノイマン、オッペンハイマー等は古年兵の組でありましたが、ここの若い科学者のうち何人かは後にノーベル賞受賞者になっています。研究者の平均年齢はおよそ30歳でした。
Atoms for Peace 1953年12月8日
- 原子力平和利用のきっかけとなったアイゼンハワー大統領の演説について説明します。
- アイゼンハワー大統領は国際原子力機関の設立を提案するとともに演説の最後に次のように述べています。
- 「原爆の投下という暗い背景を持つ米国としては、力を誇示することのみを望むのではなく、平和への 願望と期待をも示したいと望んでいます。
- 来たるべき数カ月間は、重大な決断を多々伴うでしょう。世界各国の首都や軍司令部において、世界を脅威から抜きだし平和へ導く決断となってほしいと願うものです。 そうした極めて重大な決断を下すに当たり、米国は、恐ろしい原子力のジレンマを解決し、この奇跡の ような人類の発明を、人類滅亡のためではなく、人類の生命のために捧げる道を、全身全霊を注いで探し出す決意を、皆さんの前で、ということは世界の前で、誓うものであります。」
EBR-I(アイダホ)
原子力により4個の電球を点灯
- 世界最初の原子力発電所について説明します。
- 世界最初の原子力発電は軽水炉ではなく高速炉でした。
- EBR-Iに先立ち水銀冷却プルトニウム燃料の高速炉が1946年11月21日に初臨界に達しました。
- EBR-IIはナトリウム冷却金属燃料の高速炉であり、1963年11月に臨界に達しました。
- その後、エンリコ・フェルミ炉プロジェクトが原子力の商業発電所への利用に関する知識、経験の交換、開発を行う目的で設立されました。エンリコ・フェルミ炉は1963年8月23日に初臨界に達しました。しかし、1972年12月に永久閉鎖が決まり1975年12月に解体が完了しました。
- さらに、米国では、ナトリウム冷却酸化物燃料の高速炉FFTF(Fast Flux Test Facility)を燃料材料の研究のために1980年2月に臨界としました。
- 世界で最初に臨界に達した原子炉
シカゴ・パイル(1942年12月2日) - 世界で最初に発電した原子炉
EBR-I(1951年12月20日) - 世界最初の商業用原子力発電所
オブニンスク原子力発電所(1954年6月27日)
シッピングポート原子力発電所(1957年12月2日)
オブニンスク原子力発電所
モスクワ近郊
シッピングポート原子力発電所
ピッツバーグ
- 原子力発電の生い立ちについて説明します。
- 世界で最初に臨界に達した原子炉はシカゴパイル1です。
- また、世界で最初に発電した原子力はEBR-1です。
- これらは2つともアメリカですが、世界最初の商業用原子力発電所は、ロシアがモスクワ近郊のオブニンスクに建設したオブニンスク原子力発電所でした。これは、黒鉛減速軽水冷却炉です。
- 米国ではロシアに遅れること3年半でペンシルベニア州のピッツバーグにシッピングポート原子力発電所を建設し運転を開始しました。
- 米国では1960年代に原子力発電所の建設ラッシュを向かえました。それは、ケネディー大統領のニュー・フロンティア計画によるものでした。
- また、ヨーロッパでも、イギリスは1956年にガス冷却炉であるコールダーホール1号炉を建設しました。フランスは1959年に同じくガス冷却炉であるマルクールG2炉を建設しました。一方、ドイツは1961年に沸騰水型軽水炉カール炉を建設し運転しました。
- 我が国の原子力開発の歴史を振り返ってみます。
- 我が国では1955年に原子力基本法が公布され、国内での原子力発電所の建設・運転が開始されました。
- 日本原子力発電株式会社(原電)はイギリスからガス炉であるコールダーホール型の原子炉技術を輸入し東海1号として1966年7月に運転開始しました。
- 原電は米国からBWR技術を輸入し敦賀発電所1号機として1970年3月に運転開始しました。
- 関西電力は米国からPWR技術を輸入し美浜発電所1号機として1970年11月に運転開始しました。
- 東京電力は米国からBWR技術を輸入し福島第一発電所1号機を1971年3月に運転開始しました。
- 我が国では商業用の原子力発電所を運転してから50年近くを向かえようとしています。
- 核分裂による熱で蒸気をつくる。(原子炉→蒸気発生器)
- 蒸気でタービンを回転し発電する。(タービン発電機)
- 残った蒸気は海水で冷や水にもどす。(復水器)
参考:三菱重工ホームページ
- 原子力による発電の仕組みを解説します。
- この図は加圧水型原子炉、PWRのシステム構成を示しています。
- 燃料や制御棒と書かれている左端の部分が原子炉の炉心であり、原子炉圧力容器の中に納められています。
- 原子炉の炉心で核分裂によって発生した熱は冷却材に伝えられ、蒸気発生器で水から蒸気に変換されます。
- 蒸気はタービンを回転させファラディーの発明した電磁誘導現象を利用して電気に変換されます。
- PWRでは冷却材である水の温度は300度近くになります。
- このような高温でも水を液体の状態に保つため、水を160気圧近くまで加圧する必要があります。このための装置が加圧器です。
- タービンを回転させた蒸気は復水器で冷やされ再び蒸気発生器に戻されます。
火力発電のしくみ
- 火力発電は、ボイラーで化石燃料(石炭、石油、天然ガス)を燃やし発生する熱を利用して水を蒸気に変換し、蒸気でタービンを回転させ発電機で起きる電磁誘導を利用して電気を起こすしくみとなっている。
- 原子力発電も発電の基本は火力発電と同じである。
- 異なる点はボイラーの部分である
- 原子力発電のボイラーに相当する部分は、炉心、冷却系、蒸気発生器である。
- 炉心は、核分裂により熱を発生する燃料と核分裂を制御する制御棒から構成されている。
- 冷却系は、配管とポンプから構成されている。
- 蒸気発生器は、炉心で冷却材に伝えられた熱を利用して水を蒸気に変換する。
- 原子力発電を火力発電と比べてみましょう。
- この図は火力発電の仕組みを示しています。
- 原子力発電も発電の基本的なしくみは同じです。ボイラーに相当する部分が原子力発電プラントでは、炉心、冷却系、蒸気発生器となっている点が異なります。
- また、火力発電と原子力発電の大きな違いは原子力発電では放射線が発生することです。すなわち、原子力では放射能の問題があります。
- 核分裂による発熱は燃料ペレット内で起こる。ペレットは被覆管と呼ばれる「さや」の中に封入される。被覆管の外側は熱を除去するための冷却材が流れるための流路が確保ざれる。また、核分裂を制御するための制御棒が燃料要素束の中に組込まれる。これら(炉心)が原子炉(圧力)容器の中に置かれる。
- 冷却材はポンプにより炉心に送り込まれる。その流量は原子炉熱出力と冷却材の入口/出口温度から決まる。流量が決まればポンプの能力も決まる。炉心で発生した熱はタービンを回転させるために使われ、エネルギー・バランスが保たれる。
プラントの構成 : 炉心 - 冷却系 - 水・蒸気系 - タービン・発電機
- 原子力発電プラントをもう少し詳しく見てみましょう。
- 原子力発電プラントは、炉心、冷却系、水・蒸気系、タービン・発電機から構成されます。
- 炉心での核分裂による熱は燃料ペレットと呼ばれる二酸化ウランの焼結体(しょうけつたい)の中で発生します。
- 原子炉を運転すると核燃料ペレットに、放射性の核分裂生成物が蓄積されます。この放出を妨げるため、核燃料ペレットは被覆管と呼ばれるジルコニウム合金製のさや管の中に封入されます。これを燃料要素または燃料棒といいます。
- 燃料要素はPWR燃料では17x17型の燃料集合体に組み立てられます。その中には制御棒も組込まれます。制御棒は核分裂反応の制御に用いられます。
- 原子炉炉心は燃料集合体が集まって構成されます。勿論、燃料集合体の中では冷却材が流れる流路が形成されなくてはなりません。
- 疑問
- 万一、原子力発電所で事故が起きたらどうするの?
- 答え
- まず、核分裂反応を止めるために制御棒を炉心に挿入するんだ。
それでも、炉心には崩壊熱が残っているから炉心を冷やすんだ。
もし、冷却系の配管が破断した場合は緊急炉心冷却装置を動かして炉心を冷やすんだ。また、放射性物質が環境に出ていかないように格納容器の中に閉じ込めるんだ。
要するに、「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」が安全確保の基本だね。
原子力発電プラントの安全設計
- 炉心設計
- 核設計
- 熱流力設計
- 動特性解析
- 燃料設計
- プラント機器設計
- 構造設計(材料設計を含む)
- 伝熱流動解析
- 安全設計について説明します。
- 原子炉で何かの変化が起きた場合は、「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」が基本です。
- この基本を満足するために原子力プラントでは安全設計がなされます。
- 安全設計には、炉心設計、燃料設計、プラント機器設計があります。
- 炉心設計は、炉心内での中性子数のバランスをとるための核設計、炉心で発生する熱と取り出す熱のバランスをとるための熱流動設計、そして、炉心に出力の急激な変化等が起きた場合でも、固有のフィードバックにより炉心が安定な状態に復帰することを確認する動特性解析(どうとくせいかいせき)から成っています。
- 燃料設計では、原子炉施設でトラブルが起きた場合でも燃料要素は破損しないで放射性物質を被覆管の中に閉じ込めた状態を維持できているかを解析等によって確認します。燃料設計の信頼性を向上させるには各種の燃料照射試験や燃料の物性測定が必要です。
- プラント機器設計では、原子力プラントを構成する機器について与えられた温度や圧力等の条件で、かつ使用期間を通じてその機能を十分に発揮することができるかを確認しています。そのためには使用する材料が適切でなくてはなりません。このための設計を材料設計と言います。
- 安全設計の妥当性を評価するために安全評価が実施される。
- 安全評価は各運転状態に対して実施され、妥当性を判断する基準が定められている。
運転状態 | 定義 |
---|---|
通常運転 | 計画的に行われる起動、停止、出力運転、高温待機、燃料取替え等の原子炉施設の運転であって、その運転状態が所定の制限内にあるもの |
運転時の 異常な 過渡変化 |
原子炉施設の寿命期間中に予想される機器の単一の故障若しくは誤動作又は運転員の単一の誤操作、及びこれらと類似の頻度で発生すると予想される外乱によって生ずる異常な状態 |
事故 | 「運転時の異常な過渡変化」を超える異常な状態であって、発生する頻度はまれであるが、原子炉施設の安全設計の観点から想定されるもの |
重大事故 | 重大事故(炉心の著しい損傷、核燃料物質貯蔵設備に貯蔵する燃料体又は使用済燃料の著しい損傷)に至るおそれがある事故 |
- 原子力プラントでの運転状態について説明しています。
- 運転状態には、通常運転、運転時の異常な過渡変化、事故、重大事故が含まれます。
- 福島事故が起きるまでは、事故までを設計基準事故として評価の対象としていましたが、福島事故では全電源が喪失するといった今まで想定していなかった事故が起きたことから、設計基準を越える事故までも想定して評価するように原子力の規制が変更されました。
- このような想定外と考えられる事故を重大事故と呼んでおり、事故解析によって、「炉心が著しく損傷しない」ことや、炉心溶融と言った事故の進展が原子炉圧力容器内で収まること、万一、収まらない場合はその外側に設置されている格納容器の中で収まることを確認しています。
- それでもダメな場合は周辺住民を避難させると言った災害対策の範疇になります。
- プラントに事故等が起きたとしても安全保護系、計測制御系等により炉心が著しく損傷しないことを確認するための解析評価がなされる。
- 全電源喪失のような重大事故が起きた場合には事故が原子炉(圧力)容器内で終息することや、万一、溶融した燃料等が原子炉(圧力)容器の外に出たとしても格納容器内に収まることを解析により確認する。
- このようにして放射性物質が格納容器から出てしまうような事故は起きないことを安全評価で確認する。
- それでも、出てしまうような場合は周辺住民を退避させる。
原子力発電プラントにおける深層防護とアクシデント・マネジメント
- 事故防止系による異常過渡の収束
- 事故緩和系による事故の収束
- 事故マネジメントによる事故の収束
- 防災対策による影響の軽減
- 異常過渡の発生
- 事故の発生
- 設計基準の逸脱
- 炉心の損傷
- 原子炉容器の破損
- 格納容器の破損
- 公衆へのリスク
- 事故が起きた場合のマネジメントについて説明します。
- 事故が起きた場合は、各事象の進展を防止、または影響を緩和するための措置が取られます。
- これらには、事故防止系、事故緩和系が含まれます。ここまでで、設計基準事象と言われる事故までがカバーされます。
- 事故を越える、いわゆる重大事故が起きた場合は、アクシデント・マネジメントと呼ばれる対策が取られ事故を収束の方向に向かわせます。
- このような安全設計や安全評価の考え方を深層防護(Defense in Depth)と呼んでいます。
- ここで紹介した事象の進展は原子力発電プラントによって必ずしも同じではありません。
- 高速炉では重大事故を想定した場合でも進展する事象は原子炉容器の中で収まり、格納容器にまで達するような重大事故を想定する必要のない場合も考えられます。
2010年3月31日(震災前)時点の原子力発電の規模
- BWR 30基 2856.9万kW
- PWR 24基 2027.8万kW
- 合計 54基 4884.7万kW
- 総発電電力量 約2798億kWh
- 総発電量に占める原子力の割合 29.3%
震災後は原子力発電による発電量をほぼ火力発電に依存することとなった。
- 震災前の原子力発電量が示されています。
- 1970年代から始まった我が国の原子力発電プラントの運転はその後40年間で発電プラントが54基に達し、総発電電力量も約2800億kWhとなり、総発電量に占める原子力の割合が約30%に達しました。
- しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災による原発事故の影響を受け、その後は火力発電に依存することとなりました。
国・地域 | 運転中 | 建設中 | 計画中 | 合計 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出力 | 基数 | 出力 | 基数 | 出力 | 基数 | 出力 | 基数 | |
1.米国 | 10,328 | 100 | 560 | 5 | 626 | 5 | 11,514 | 110 |
2.フランス | 6,588 | 58 | 163 | 1 | 6,751 | 59 | ||
3.日本 | 4,426 | 48 | 442 | 4 | 1,158 | 8 | 6,027 | 60 |
4.ロシア | 2,519 | 29 | 1,026 | 11 | 1,745 | 17 | 5,290 | 57 |
5.韓国 | 2,072 | 23 | 660 | 5 | 560 | 4 | 3,292 | 32 |
6.中国 | 1,474 | 17 | 3,387 | 31 | 2,617 | 23 | 7,482 | 71 |
7.カナダ | 1,424 | 19 | 1,424 | 19 | ||||
合計 | 38,636 | 426 | 8,399 | 81 | 11,292 | 100 | 58,326 | 607 |
- この表は福島事故後の2014年1月1日時点での世界の原子力発電量を示したものです。
- 我が国では2017年1月の時点で運転中の原子力発電所は2基です。それ以外は主として重大事故対策に関する審査を受けているか、または準備中と思われます。
- 現時点のトップスリーは米国、フランス、日本ですが、中国の勢いには目を見張るものがあります。